2010年08月19日

無意識下の願望(大和)


 それなりの成績、それなりの運動能力、それなりの人望。自分では平均点、他人からは平均以上の評価を貰う自分。よく言えばそつがなく、悪く言えば抜きん出ていない。
 それが自分──大和祐大という人間の総合評価だった。
 名門と呼ばれる青春学園テニス部に入りレギュラーの座を得、部長に就いてからもその感覚は変わることがなかった。むしろ部をまとめる為には貫禄も必要だろうと、意識していつも以上に落ち着いた振る舞いを心がけていた。
 すると面白いもので、他人からの評価は見る間に上がっていく。多少自己を抑え大人びた言動をしているだけでボク自身は何も変わっていないのに、外見だけで判断する人間のなんと多いことか。
 けれどもボクだけは知っている。己の中に、猛々しい本性を持つ獣が眠りについたまま飼われていることを。
 このままでは決して目覚める日はこないことを知っている、それは闘争本能という名の獣だった。
 そんなボクの内面を知ってか知らずか、今年度の部長にボクを指名したテニス部顧問である竜崎先生に呼び出されたのは、ゴールデンウィーク明け最初の部活前のことだった。 
 小学五年生のお孫さんがいらっしゃるという竜崎先生は、失礼ながら初老の域にさしかかるお年にもかかわらず、非常にアクティブな方だ。名ばかりの顧問ではなく、部員一人一人を見ている点においてコーチの役割も果たしてくださる、尊敬できる先生だった。 
 その竜崎先生に、職員室ではなく数学準備室へと呼ばれた時点で何か深い話があるのだろうと推察したボクは、心身を引き締めてから軽く扉をノックする。
 程なくして中から「入っといで」とお声をいただいたので、ボクは失礼します、と頭を下げながら入室した。
 人払いをしたのかたまたまなのか定かではないけれど、室内は予想通り職員用の椅子に座ってお茶を飲んでいる竜崎先生の姿のみ。
 とりあえず近くに寄ったボクは、先生から話を振られるのを待った。
 手にしていた湯のみをデスクに置いた竜崎先生がボクを見上げる。
「大和、お前今年の新入部員は把握してるかい?」
「ええ、大体は」
「なら手塚のこともわかるね」
 眼鏡をかけた、周囲になかなか溶け込めていない一年生の姿が脳裏に浮かぶ。
 強い意志の光を持った、印象的な瞳。有望そうな一年生が揃う中、特に目が離せなかった彼のことだけをフルネームで記憶していた。
「手塚……ああ、手塚国光クンですか?」
「ああ、そうだ」
「彼が何か?」
「お前なら察してると思ってたがね」
 わからないかい? と竜崎先生から放たれた軽い変化球にボクは一瞬言葉を詰まらせる。
 確かに察していることはある──けれど、竜崎先生がどの点を指して仰っているのかがわからなかった。
 当たり障りなく、部長としての立場で答えるのが正解だろうと判断したボクは、真面目な表情を作って口を開いた。
「彼の才能について、でしょうか。それとも周囲との関係が?」
「ふむ。流石だな」
 とりあえず外していなかったらしい。
 ボクからの返球に対して鷹揚に頷いた竜崎先生が言葉を繋ぐ。
「あの手塚は、まだ周囲に実績は知られていないが非常に稀な才能の持ち主だ。それゆえ、二・三年生との摩擦も起きる可能性があるだろう。無論、スポーツは実力の世界。才のある者が上に行くのは当然の話なんだが、お前も含め奴等はまだ中学生だ。それだけで納得いかん奴も出てくるだろう」
「ええ、そうでしょうね」
「正直、私としては今度の校内ランキング戦に出してみたいところだが、お前はどう思う?」
 じっとボクの反応を待つ竜崎先生。
 確かに彼を校内ランキング戦にエントリーをさせてみたら面白いと、自分でも思っている。
 ただその結果周囲の反応は反発どころではすまない可能性がある。竜崎先生はなにもそこまでと言うかもしれないが、カッとなりやすい部員が何らかの実力行使に出かねない。
 部長としてそれをすべて抑えることができるかと問われたら、答えは否だった。
「手塚クンが実力を出し切れば、一年生ながらレギュラーの座もあり得るでしょう。けれど、今は賛成できません」
「理由は?」
「先生の仰ったとおりです。個人的には青学テニス部の強化は喜ばしいですが、それで部としての結束が乱れては他選手へのメンタルにも影響が出かねません。更には今現在、一年生の間でも和に入りきれている様には見えず、手塚クンは対人関係があまり器用ではないと思われます。同級生に対してでさえそうであるならば、先輩に対してはそれ以上でしょう。摩擦が起きたとき、上手い対処ができるとは思えません」
 因って校内ランキング戦へのエントリーは否であると言葉を〆ると、竜崎先生は真意を探るようにボクの瞳を見据える。
「それはお前の部長としての判断だね?」
「はい」
 頷きながら、この答弁が内心では不本意であることに自分で驚いていた。
 スポーツは実力の世界。
 とはいえ、部長としては部の調和を考え一丸となって大会を勝ち進む必要がある。彼はまだ一年生なのだし、頭角を現してからレギュラーになっても時間はある。
 その頃には皆、手塚クンの実力を認めているだろう。おそらく三年生が引退したそのとき、彼は涼やかな青のジャージを羽織るのだ。
 ──けれどそれでは、ボクは手塚クンと肩を並べることができない。
 レギュラーの座を相争うことも、揃いのジャージを羽織ることも、同じ大会を戦い抜くことも。
 内心の葛藤がせめぎあい、それ以上の言葉が出てこない。誰が見ても、自分から見ても正しい判断を下したという自信ががあるのに、葛藤がやまない。こんなことは生まれて初めてだった。
「……大和。お前を部長にしたのは私だ。その判断は間違ってなかったと思ってるし、今の話を聞いてより強く確信した」
「ありがとうございます」
「お前の考えはよくわかった。次回のランキング戦は今までどおり二・三年生から選出しよう。エントリーの選手を選ぶときはまた呼ぶよ。話は以上だ、行って奴らをまとめといで」
「はい」
 頷いたボクは準備室から退出しようと扉に向かう。
 さして緊張するような話ではなかったが、先生との話の中でボクは、胸の奥にひっかかりを残していた。
 夏の大会を手塚クンと戦っていけない残念さはあるが、こればかりは仕方ない。同じ世代に生を受けることができなかった運命だ。
 仕方ないのだが、それを是とできずに割り切れない自分がいる。この輪郭がなく掴み所のない、正体不明の感情は何なのだろう。
「大和」
 廊下に出て頭を下げながら扉を閉めかけたところを呼び止められたボクは、手を止めて顔を上げ、竜崎先生に視線を移す。
 逆光で先生の表情はよく見えない。
「なんでしょうか?」
「お前、まだ自分が中学生なんだってこと忘れるんじゃないよ。それに、同じ部なんだ。望めばいつだって対戦しようと思えばできるんだからね」
「そうですね」
 多分、微笑んでから。
 それだけ返して数学準備室の扉を閉めたボクは、大きく息を吐いた。
「同じ部ならいつでも、ですか」
 竜崎先生が仰った言葉を反芻する。
 そう、手塚クンとは同じ学校の同じ部なのだ。対戦でいつあたるか判らない他校でもなければ、三つ以上年が離れ学年が交わらないわけでもない。
 いつでも対戦できる──その事実を認識しただけで、胸のつかえが軽くなる気がした。
 ただ、それでも尚残る正体不明な感情の欠片がある。葛藤はある程度やんだが、決して消えたわけではない。
 扉の前で立ち尽くしていたボクの耳にチャイムの音が鳴り響いた。
 いけない、もう部活が始まっている。先生に呼び出されたことは伝えてあるが、なるべく早く行くにこしたことはないに決まっている。
「……さて、行きましょうか」
 葛藤はあくまで個人的なことに過ぎないのだから、コートへつくまでには部長の顔に戻らなければ。
 気を引き締めなおし、ボクは急いで部室へと足を向けた。

2010年08月13日

憧憬(手塚&大和)


 あの人との出会いは中学一年生の春──名門と呼ばれるテニス部で部長を務めていた。
 当時、俺の実力はすでに周囲の先輩方を凌いでいた。
 けれど己の力を誇示したいとも、それによって先輩方との余計な摩擦を生みたいとも思わなかった俺は、ひたすらに本来の力を隠し続けた。
 周囲の和にとって良かれと思った行動だったが、所詮は中学一年生の浅知恵。
 実力が露見したときに更なる揉め事の火種となるだけだった。
 結果、火種によって生まれた争いで受けた傷跡は、完治したとはいえ今も俺の左腕にまざまざと残っている。
 あれから二年経った今ならば、もう少し上手いやり方があったのではないかと思えるのだが、もしも当時に戻れたとしても、生来不器用な俺はきっと同じ選択を繰り返してしまうのだろう。
 激情に任せ、部を辞めると宣言をし──あの人に諭されるのだ。
「君には、青学の柱になってもらいます」
 あの人にそう言われた時、はっきりと気づいた。
 薄々感じていたことではあったが、俺よりもテニスの実力が劣るあの人にあって、俺にないもの──それは今も変わることのない、永遠の壁。
 年齢の差分という一言では到底片付けることができない。
 十代における二歳の差は確かに大きいかもしれないが、初めて逢ったときのあの人の年齢に届いた今の俺が、当時のあの人と肩を並べられるかと問われると、否としか言えない。
 謙遜ではなく、今も俺自身が「あの人以上に得た」と自負出来ないのもの。
「立派になりましたねぇ……手塚クン」
「……大和部長もお変わりない様で」
 かつての青春学園テニス部部長、大和祐大先輩に対して俺は敬意をこめて深々と頭を垂れる。
 風貌だけで言えば、中等部在学時から比べて大きく変わった。今はトレードマークだった眼鏡を外しているし、全体的に雰囲気が垢抜けた。
 が、温かな笑みと穏やかな声。そして俺が最も憧れ現在もなお尊敬している、人間としての器の大きさはなんら変わらない。
 こうして直に接すると、遠目から見ていたとき以上にそれを肌で感じる。
 越前に青学の柱を託した試合や、関東大会での跡部との対戦、そして校内ランキング戦での不二との試合すべてと異なる期待が俺の中で脈を奏で始める。
 何故だろう。
 理由は判らない、というよりも言葉にするのが非常に難しい。
 だがひとつ言えるのは、この合宿に大和部長が参加していらっしゃると知ったときから俺は、この試合を心から待ち望んでいたということだ。
 一介のテニスプレイヤーとしてだけではなく、青学の柱としてこの人を超えることが、あのときから俺の目標だったのだと、この人を目の前にして俺は改めて思った。
「それでは、これより試合を始めます」
 審判のコールがやけに遠く聞こえる。
 珍しく緊張の汗を手にかいた俺は、ラケットのグリップを強く握り締めた。