2010年02月17日

愛惜


「来週の水曜日ですか?」
 暦の上では春を迎えたといっても、天気図はまだまだシベリア寒気団が猛威をふるっていて、寒空の下、コート無しで外を歩くのは厳しい二月某日。
 開店準備に忙しなく働いている彼に、私は声をかけた。
 来週の水曜日、店を閉じる事を告げると、彼は片手に包丁の柄を握ったままきょとんとこちらを見上げる。
 捨てられた子犬のようだった彼──戒を拾ったのは、もう随分と昔のような気がする。私の店で働くようになって以来、大抵の調理を彼に任せるようになった。生鮮の仕入れも一任している為、店主である私も当日にならないと今日のお勧め一品が判らない。
 毎日どんな料理がメニューに載るかを楽しみにしているのだけれど、いつだったかそれを本人に言ったところ、苦笑とともに「プレッシャーです」と返されてしまったので、それ以来口にはしていない。
 さて今日はなんだろうと思ってまな板に視線を移すと、上に乗っているのは活きの良いスズキ。恐らくこれからカルパッチョあたりに化けるのだろう。
「随分と急ですね」
 突然の休日告知に彼は暫し目を瞬かせていたが、すぐに途中だった作業を再開し、慣れた手つきでスズキを捌く。
 開店まではあと一時間ほど。仕込みのラストスパートをするのに手を止めていられないとの判断だろう。
「それに珍しいですね。定休日以外にお店を閉じるなんて」
 一応、隔週の火曜日が定休日になってはいるが、実際はあってなきが如し。
 ほぼ毎日開いているようなものだったが、元々道楽の延長で始めた店なので、休みがないのは特に苦にならなかった。
 勿論、彼には週二日の休みを入れているが。
「平日の、それも週の真ん中なら客足も少ないだろうと思ってね。常連様には、一応今から告知をしておこうと思っているよ」
「わかりました。壁にお知らせを貼って……あと、それとなくお客様との話題にも出しますね」
「宜しく頼んだよ」
 いつもながら、給与以上の働きをしてくれていると思う。現在彼の扱いはバイトに過ぎないのだが、やはりいい加減に正社員として正式に雇うべきだろうか。ソムリエの資格を取得した時点で昇給はしたのだが、働きに対しての還元が低いような気がしてならない。
 本人曰く「これでも貰い過ぎです」なのだそうだが。
 大きな曲線を描き独特の美しいフォルムをしたワイングラスを磨きながら、私は感謝も込めて彼に微笑みかけた。
「お休みって、どこかお出かけですか?」
「ああ。懐かしい友人に会いにね」
「良いですね」
 単純に額面どおり受け取ったのだろう。屈託なく微笑み返す彼の笑顔に友人の面影が重なり、私は思わず言葉を失くした。
 今更だが、やはり似ている。
 容貌は友人の方が三割ほどおとなしめだったし、髪の色も質も、瞳の色も違う。だが、彼からかもし出される穏やかな雰囲気が友人の陽だまりような笑みを思い出させるのだ。
 初めの頃は彼と友人を比べてばかりいたのだが、彼らしさを発見するに従いそんな機会もなくなっていった──だから最近はそんな事もなかったというのに。
「水城さん?」
 ふと気づくと、彼がこちらを怪訝そうに見つめていた。
 何でもないように振舞わないと、心中を感づかれてしまうかもしれない。
 そう思った私は自分の辞書から急ぎ無難な解を探し当て、つとめてさりげなく返答した。
「ああ、すまない。水曜日が常連のお客様は何人いたかと数えていたんだよ」
 なんだ、とそれを聞いた彼は私の言を疑いもせず、さもおかしそうにくすくす笑う。
 そうやって私の言葉を寸分の疑いもなく受け入れるところもまた、友人の素直な気性を思い起こさせる。
 何の疑念もしない、曇りのない瞳を目にして微かに胸が痛んだ。
「大丈夫ですよ」
 彼はスズキの皮を剥ぎながら、自信ありげに頷く。
「そのお客様はきっと、火曜か木曜に来て下さるでしょうから」
  


 
 その、水曜当日──黒いコートとスーツに身を包み、身支度を整えた私は、友人に会う為、気心の知れた店員のいる花屋に寄った。
 久しぶりに会う店員に軽く挨拶をし、「いつものを」とだけ言うと、心得たかのように花束を作りはじめる。
 待つ事十数分。カスミソウを中心とした、華美を抑えた可愛らしいブーケが出来上がる。
 代金を支払って店員に礼を言い、私は店を出た。
 目的地は、花屋から徒歩数分の距離にある。
 若干の迷いを胸に抱きつつ『そこ』に辿り着いた私は、寒さに負けて立てていたコートの襟を正した。
「久しぶりだね」
 物言わぬ冷たい友人──墓石に向かって、私は語りかける。
 都内にある小さな寺。そこに友人は眠っていた。
 前回の法要から幾分時間が経っている所為か、風雨にさらされた卒塔婆が幾本か見えた。彼岸前なこともあって、私以外の参拝者は暫く来ていない様子だった。
 ──もっとも、その法要自体に私は一度も参加した事はないのだが。
 腰を折り、手にしていた花束を供える。
 ポップなアレンジの花束は、周囲の花と比べると一見して浮いているように見える。確かに追弔の花といえば一般的に菊が多いが、友人の好きだった花を供えるのがなによりの供養だろうと思い、毎回決まった店で花束を作っていた。
 簡単な掃除を済ませ、改めて墓石に向かい合う。
 何か話したい事があった気がするのだが、いざ面と向かうと言葉が出てこない。
「……今更だ」
 諦観して私は首を横に振った。
 幾ら友人を偲んでも、二度と会うことは叶わない。私をファーストネームで呼んでくれる事はない。
 友人が死に至った間接的要因である自分には、法要に参加する資格も、こうして墓参する資格さえないのかもしれない。
 それでも──
「私は、君に会いたかった」
 この場所が友人と永久の別離を意味すると判っていても、友人の欠片が此処にある。
 そう思うだけで、店を休みにしてでも足を向けずにいられなかった。
 北風にひらり舞う木の葉が、偶然私の手に収まる。
 それは友人の好きだったハナミズキの木の葉で──私の苗字と同じだと言って、屈託なく笑っていた友人の姿がまぶたに浮かぶ。
「ああ……君は、此処にいたのだね」
 手の中の木の葉を、壊れ物を扱うように両の手のひらでそっと包む。
 友人を亡くして流しつくした筈の涙が、一筋だけ頬を伝った。

2010年02月13日

X-Day (3)


 材料集めにレシピ考案、予約買い付けエトセトラ。
 各々の希望を聞いてまわり、どうにかこうにかではあったが準備を万端に整えた戒は、総仕上げとばかりにバレンタイン前日の今日も走り回る。
 すべては愛する人達の笑顔の為に。


「銀座と日本橋と自由が丘で予約したチョコの受け取りに行ったあと、手作りチームの補助してラッピングの準備か」
 店舗購入希望者は何人だったっけ、と戒は柔らかなソファに腰掛けながら、ぶつぶつと呟きつつ手にしたメモ帳のページをめくった。
 そこには見慣れた仲間達の名前がずらりと並んでいる。これだけの菓子を買うのにかかった費用はかなりのものだったが、義父から預かったカードで事足りた。
 事前清算の為、支払いは既に済んでいる。限度額無制限のカードでの買い物は些か緊張したが、なかなか良い経験になった──毎回店の人に驚かれたが。
 愛情こもった手作りもいいが、相手の好みを一生懸命思案した上でセレクトされたブランドチョコも愛を感じるなあと戒はしみじみ頷いた。
「あ、そういえば神楽のとこに注文してる人もいるんだった」
 パティシェであり洋菓子(たまに和菓子も)店経営者である神楽の店にも取りに行かねばならない。目の回る忙しさだとため息をつきたくなる戒だが、バレンタイン時期における神楽の多忙さを思えば、この程度で音をあげているわけにはいかない。
 ちなみに手作り希望者の為には、既にトリュフ・ケーキ・生チョコレート・クッキー等のあらゆる製菓材料をキッチンに一通りスタンバイ済み。そこに繋がる鍵を全員に配布してあるので、気が早い者はもう行って作り始めているだろう。鍵は戒のもう一人の父である蒼王から授かった物で、望めばすぐそこに転移が可能という便利な代物だ。 
「あとはプレゼントの準備か。皆出来上がったかな」
 今年はプレゼントを統一してみたのだ。なので実は、貰う側は皆広い意味で『おそろい』になる。
 恋人にあげるプレゼント。それは定番中の定番、手編みのマフラーだった。毛糸やデザイン、幅や長さは個人の趣味に任せてある。たとえば戒が編んだのはどんな服にも合わせられるようにと、黒一色のシンプルなものだ。
 皆が皆マフラーをしている姿を想像し、戒はくすりと微笑んで、温かな湯気を昇らせる甘さ控えめのココアに手を伸ばす。
 先ほど義父が「頑張る子にサービスだよ」と言って淹れてくれたのだ。それは戒の好みバッチリの甘さで、疲れた体に程よくしみわたる。
 あまりに忙しいと、自分の疲労具合が判別できないものだ。それを見越してであろう義父のくれたココアでそこそこの疲労を自覚した戒は、タイミング良い差し入れにただただ感謝しつつ、しばし──といっても軽く一時間程度だが、休息を取る事を決めた。
「急がば回れ、っていうしね」
 これを飲んで一息ついたら出かけよう、とまったりティーブレイクを楽しんでいた戒の背後に、ふと気配が顕現する。
「戒」
 いつの間に来ていたのか。声に反応して振り向くと、腰まで届く長い髪を無造作に結い上げた白哉が立っていた。
 着物の上に真白い割烹着を身に着けているところを見ると、既に明日用の物を作り始めているのだろう。調理に邪魔で結っているのだろうが、纏めきれず頬にゆれる後れ髪が妙に艶めかしい。
 珍しい客人の姿に戒は内心首を傾げ、割烹着というこれまた珍しい格好を人前に見せて佇む和風美人を見上げた。
「どうしたの?」
「ブラッドオレンジピールを所望の方がここにいるのだけれど、何処にあるのか判らないそうで」
「ドライフルーツ系は確かガラスの開きに全部入ってるよ。開封済みのものは冷蔵庫の上から二段目かな」
「ありがとう。では、また後程」
 にっこり微笑んでそれだけ言うと、白哉はその場から姿を消す。
 オレンジピールが要るといえば恐らくブランだろう。あどけなさの中に大人の表情を垣間見せる少年、ブラン。彼の最愛の恋人であるメトセラは、ドライフルーツのケーキが好物なのだ。
 ココアを飲み干し、空になったカップをテーブルのソーサーに置いた戒は立ち上がり、水滴で曇った窓ガラスを手で軽く拭う。
 灰色の空からはらりはらりと舞うように雪が降っている。積もることなく、多くは大地へと辿り着く前に消える故に、儚く見える都心の雪。
 掻き消えた白哉の姿と淡雪を重ねてしまうのは、当の本人が良く自らを儚い存在だと口にしていた所為だろうか。
「縁起でもないか。最近の白哉は、大分元気になったしね」
 さてと、と軽く躯を伸ばした戒は、飲み終えたカップとソーサーを流しに置き、ハンガーにかけられていたコートを手にする。
 向かう先は、先ずは日本橋。上手く地下鉄を乗り継げば、そう時間はかからないだろう。
「義父さんは……あ、もう出かけたんだっけ」
 家の鍵を手に、戒は玄関へと向かう。


 先程、一時間ばかり休息をと思ったのは白哉の登場ですっかり忘れてしまったようだった。

2010年01月30日

X-Day (2)


 とりあえず、空いている時間にさくさくと事を進めなければならない。
 何故なら彼にはバーテンダーという本来の仕事があり、そちらを疎かにするつもりは毛頭ない。オーナーであるマスターに事情を話せば恐らく休日を融通してもらえるだろう。が、それを甘えだと思っている彼としては、出来る限り本職に影響が出ないよう、頑張って動くだけだった。


「さてと。先ずは誰のところに行こうかな」
 ふう、とため息をついた戒は、仲間達の顔を思い浮かべ、効率よく回る順を思案する。
 代々木にある、モダンな雰囲気の一軒家。義父の所有する物件の一つであるそこが、戒の現住居だった。
 店を出た時にはまだ暗かったのに、今はもうカーテンの隙間からまばゆい光が差し込んで、居間を温めている。
 時刻は朝の七時を回っていた。
 バーテンダーとしての仕事を終え、本来ならばこれから軽く食事を取ってから睡眠、というのが普段の生活サイクルなのだが、時間を削るとしたらやはりここしかないだろう。
 フライパンを片手に持ち、朝食にとスクランブルエッグを作っていた戒の背中に、義父の優しげな声がかけられる。
「戒。頑張るのは良いけれど、無理はしないように」
「判ってるって義父さん。無茶はしないようにする」
 やれやれ、と義父のわざとらしいため息が背中越しに聞こえる。
「そう言いながら無理をするからね、うちの息子は。もし倒れたりしたら、かえって周囲に迷惑も心配もかけるって判ってるね?」
 義父とは言っても、二人の年は兄弟ほどしか違わない。戒の保護者として戸籍上「義父」となっただけなのだが、すっかり『義父さん』呼びに慣れてしまった戒である。
 また、呼ばれるほうも悪い気はしていないらしく、何かと戒の世話を焼いているのだ。
 友達のようで、親子のようで、兄弟のようで。だからこそ、にっこり笑顔で釘もさせる。この義父は無茶をしがちな戒の性格もまたよく把握していた。
「……肝に銘じておく」
 ぐっさりと痛いところに釘をさされた戒は苦笑しつつ、出来上がったふわふわのスクランブルエッグを白いランチプレートに盛っていく。
 ラディッシュやオニオン、レタスにパプリカ等、色とりどりの野菜に自家製ドレッシングをかけたサラダ。それからスクランブルエッグにハムとチーズのホットサンド。マスターからのおすそ分けであるブルマン豆をひいた琥珀色の珈琲が、本日の朝食だった。
 既にテーブルについていた義父の席にランチマットを敷き、そのうえにプレートと食器、珈琲を並べる。
「はい、義父さん」
「ありがとう、いただくよ」
 身に着けていた黒いシンプルなエプロンを取り、戒は自らも席に着く。フォークを手にして先ずは一口、サラダを口に運ぶ。ドレッシングにオレンジの皮を摩り下ろしたものを入れた試みはどうやら成功のようだ。
「で、戒。誰のところから行くんだ?」
「うん……まだ考え中。無難に、リュウあたりから行くかな。先ずは蒼溟殿内から攻めてくのが良いかと思って」
「そうだな。あとは、一応使いを出したほうが良いんじゃないのか? いきなり行ってもすぐに希望が出るとは限らないし」
「あ、そっか。何が欲しいかあらかじめ考えておいてもらったほうが良いってことだよね」
「そういうこと。だから今日のところは寝なさい、戒」
「え?」
「しっかり準備してから行動に移すのと、ろくに準備もなく行動に移すのとじゃ、体力の減りがまったく違う。戒、君は今、自分が『人間』だっていうことを忘れてはいけないよ。しっかり眠って英気を養うのも大事なことだからね」
 論理だてて説明されれば、戒としてはぐうの音も出ない。
 確かに、明日から行動を移すと思えば今日はしっかり睡眠をとって仕事も無理しない心構えが出来る。
 が、昨日はお茶会から帰ってそのまま仕事に行った為、どちらかというと寝不足気味。おまけに昨夜は土曜の夜。つまり一週間を通して最も店が混む日で、正直なところを言えばかなり疲労がたまっていた。
「お見通しみたいだね」
 戒の事だからね、と義父は嬉しそうに口元をほころばせる。
「連絡くらい椎奈達にさせるといい。その代わり、明日からしっかり頑張るんだよ」
「……はい、義父さん」
 素直に微笑んで戒は頭を下げる。
 ご褒美とでもいうように義父の大きな手が優しく髪を撫でるのを、戒は心地よく感じていた。

2010年01月28日

X-Day (1)


 このところ、彼は悩んでいた。
 食事の支度をしているときも、ゆったりとくつろいでいるときも、至福ともいえる恋人の腕の中にいてさえ、彼の心中を占めるのはその悩みだった。
 とはいうものの、それは神経をすり減らすような、深刻かつヘヴィな悩みでは決してない。
 では何かというと、いつの頃からか二月も半ばに設定された、お菓子業界の陰謀とまで謳われる、とある行事。そう、バレンタインデーについて延々と悩んでいるのだ。


「……むう」
 今ここには愛しい恋人がいない、だからこそ出来るしかめ面である。そんな表情を見せたところで嫌われるということはないだろうが、恋人の前でこんな顔をしたなら、一体何に心を痛めているのかと心を煩わせてしまうからだ。
 なので今のうちとばかり眉間にしわを存分に寄せ、端正な作りの顔を思案に歪ませ、彼──椎奈はため息をつく。
 女性のような名であるが彼の性別はれっきとした男性、そしてまた彼の恋人も男性。故にバレンタインなど地方によっては一般的に女性から男性に送る行事なのであるからして、無視しても良い。
 なのだが、恋人に物を贈るというのは古今東西性別身分人種を問わず、楽しいものなのである。
「椎奈。あんまりそんな顔してたら、眉間にしわがついてとれなくなっちゃうよ?」
 ここ、ここと指先で椎奈の眉間をとんとんと突いたもう一人の男性──戒が、柔らかい笑みを浮かべた。
 冗談ぽく諭すような戒の言に耳もくれず、椎奈は唇を尖らせた。端正な顔が瞬く間に幼さを帯びる。
「でもな戒。蒼灯の前でこんな顔できないからな、今ここで位良いだろう」
「俺は良いけど、そのしわ取れなくなったらどっちにしろバレると思うんだけど」
「そういえばそうか。ならば、もしもしわがついてしまったなら伸ばそうと思うから、その時は教えてくれ。しわのついた顔で蒼灯の前に出ると悩んでいるのがばれてしまうからな」
「……そういう問題じゃないと思うんだけど」
 半ば呆れたように微笑みながら、茶葉の開きが頃合いになったであろう茶器を手に取る。
「おかわり、飲むよね二人とも」
 二つの頭が頷くのを確認してから戒は茶器を傾ける。
 椎奈が何か悩んでいるのは蒼灯も既知だろうし、そもそも一度ついたしわを伸ばすという発想自体がどうかと思う戒である。椎奈の発言が天然じみているのはいつものことなのだが。
 茶が注がれた三つの湯のみから、温かな湯気が昇る。特別に精製した茶葉は、この場にいるもう一人のオリジナルだった。
「白哉、はいどうぞ」
「ありがとう」
 軽く頭を下げた白哉の長い髪がさらりと頬をなでる。
 一見すると女性かと見まごう華奢な体躯、そして細面の美人ではあるが、白哉もまたれっきとした男性である。和を好み、普段から着物を身に着けている彼は、趣味で茶葉の精製をすることがある。中でも出来の良かったものを、お茶会の土産に持ってきてくれたのだ。
 戒も白哉も現在城を離れている為、こうして三人でお茶会をするのは本当に久方ぶりだった。
「さて、白哉のお茶も戒の茶菓子もだいぶ堪能したし、そろそろ主題に入りたい」
 こくり、と二人は頷いて椎奈に視線を寄せる。そもそも急にお茶会がしたいと言い出したのは椎奈であって、その深い理由を二人は知らされていなかった。
「そんな顔してるってことは、何かあると思ったしね」
「ええ。どうぞお聞かせください」
「うむ。実はだな。今年のバレンタインをどうするか考えたい」
 表情から声まで至極真剣な椎奈とは裏腹に、戒は目を点にし白哉は首を傾げた。
「……は?」
「椎奈。それは今から考えるのですか」
 二人はカレンダーを頭に思い浮かべた。バレンタインデーと呼ばれる日は二月十四日。今はまだ一月。手作りのセーターやらマフラーやらを編む女子ならば準備をしていても良いかもしれないが、普通にチョコレート等の菓子をプレゼントするだけならば時期的に少々早い相談だ。
 だが二人の反応を不服に思ったのか、椎奈は再び眉間にしわを寄せる。
「何を言ってるんだ。遅すぎるくらいだぞ白哉」
「と、言いますと?」
「それはだな。俺は自分が用意するだけではなく、他の者達にも協力したいと思っているのだ」
 ああ、と二人は口をそろえる。
「例えばだ、何かを作りたいからこういう材料が欲しいとか、そういう協力を出来ればと思ってな」
「でもそういうのって、ブランド物のチョコとか買っちゃう人もいるんじゃない? 買う楽しみってのもあるかもしれないし」
「協力が特にいらんと言う者の行動まで制限強制しようとは思わん。ただ、手に入りにくい菓子や高額すぎて手が届かないと悩む者がいたなら、その通貨を用意するつもりだ」
「……一応聞くけど、誰が?」
 この中では唯一勤労者である戒が恐る恐る尋ねる。
「あいつなら持ってるだろう。提供してもらう」
「……あ、やっぱり義父さん?」
 そう言って戒は、実質貯金額がいくらあるのか計り知れない後見人である義父を思い浮かべて苦笑する。確かに彼ならば気軽に援助してくれることだろう。
「大丈夫だ戒、お前の給料を使おうなんて思ってないぞ」
 そんな心配よりも、彼のお金を当てにしている以上きっとそれなりに弄られるだろう椎奈の未来を思って苦笑していたのだが、とりあえずそれは胸の内にしまう戒であった。
 一人静かに茶を口にしつつ、二人のやり取りを聞いていた白哉が口を開く。
「ところで椎奈。発案自体は悪いこととは思いませんし、助けの欲しい者には朗報となるでしょう。ですがその企画、誰がパイプ役になるのです?」
「パイプ?」
 ええ、と白哉は頷く。
「皆に希望を言ってもらうというのは良いことでしょう。けれどこの蒼溟殿は、基本人ならざる者の城。人によっては敷居が高く感じられましょう」
「ふむ」
「ならば、こちらから赴くのが宜しいかと。ありていに申せば、御用聞きですね」
「成る程! それは良いな、採用だ。問題は誰が行くかだが」
 それなら、と白哉は明朗に微笑む。
「一人しかいないでしょう。普段の仕事を思えば、少々重労働になってしまうやも知れませんが」
 二人の視線が交じり合い、そして一点に集約する。
「やっぱ、俺の役目だよねそれ」
 視線を受けて苦笑交じりに呟いた戒は、肩をすくめてくすくす笑い合う二人を見返す。
 現在戒はバーテンダーの仕事に就いている為、バレンタインに向けて新メニューの開発など色々あり、決して時間があるとはいえない。
 だが、かつてアンテナと呼ばれる中継役を担い、基本仲間全員としっかりした面識を持つ戒が御用聞きとなるのが、三人の中で最も適しているのは明らかだった。
「うむ、頼んだぞ戒」
「無理はしないように、お気をつけて」
「はいはい。早めにアンケート取るよ」
 明日から忙しいなこれは、と調子の良い二人を恨めしく思いつつ、久しぶりに皆とコンタクトを取る楽しみとを半々に抱きながら、戒は幾分冷めたお茶をゆっくりすすった。

2009年07月09日

主×神楽


 朝は軽めのハーブティ。この季節は涼やかな香りが鼻腔をくすぐり、爽やかな目覚めになるようミントを配合。合わせてお出しするのは典型的なブリティッシュスタイルの朝食。昨夜から種を仕込んだ焼き立てクロワッサンをライ麦のパンに、スクランブルエッグとベーコン、サラダを添えて。
 店の早朝仕込みを一旦中断し、あの方が起きていらっしゃる頃に合わせてこちらに戻り、食事をお出しする毎日も最早日常とのものとなっている。
 そして今日も。丁度皿に盛り付けたタイミングで、彼の方がいらっしゃった。
 恭しく頭を下げる。使用人ではないのだからと幾度も注意を受けているのだけれど、この癖ばかりはなかなか治らない。
 周囲に「主」と呼ばれるこの方の、本当の名を私は知らない。いや、知っている筈なのだけれど思い出すことが出来ない。だから私は常に彼の方を二人称でお呼びしている。
「お待たせいたしました」
「……ああ」
 私が椅子を引くと、彼の方が腰をかける。
 食事がセッティングされたテーブルに、温かな湯気が立つ。そろそろ紅茶も飲み頃になっているだろうと、私は白い陶磁器のポットを手にとってティーカップへと琥珀色をした紅茶を注ぐ。
 特にこれといった会話の無い、静かな時間。
 けれどそれこそが私にとって至上の、そして心休まる時間でもあった。
 私が作ったものを一つ一つ丁寧に口へと運んでくださること。そして、僅かな表情の変化が味を評価してくださることが嬉しい。味の感想を一々聞く必要は無かった。何故なら、彼の方の表情が全てを物語っていたから。
 私にとって食事の時間とは、彼の方にとっての私の存在価値を再確認できる大切な時間でもあった。
 だがそんな時間も長くは続かない。
 中断した仕込みの続きを行わねば、開店に間に合わないからだ。
 心中は非常に名残惜しくあるけれど、仕事もまた私の生き甲斐なのだから。
 私は再び恭しく頭を下げ彼の方にご挨拶申し上げる。
「それでは、行って参ります」
 コックコートの襟を正し、私は再び天界の自分の店へと向かう。
「神楽」
「はい?」
「今日も鳥の姿でそちらに行くから待っていろ」
「……はい、お待ちしております」
 
 天界へと向かっても決して寂しくは無い。
 生き甲斐である仕事をしているからなだけではなく、彼の方が姿を変えてまで私の傍へと来てくださるからだ。
 
 今日の昼食、それから夕食を今から考えよう。
 あのお方に少しでも喜んでいただく為に。