2010年10月27日

ウェディング・ベル・ナイトメア

「依皇さん?」
「いいから、今は俺の言うことを聞いてくれるかな? 水」
「……別にそれは構わないんですけど」
 渋々と不可解を程よく半々にミックスした感情を隠さずに浮かべた顔で、水が依皇を見上げた。
 にこにこといつも以上に口角を上げて笑顔を浮かべる依皇が起きて口にした第一声──それは「水、俺の為にウェディングドレスを着てくれないか?」だった。
 寝起きなのもあってぽかんとしていた水の返事を聞く前に、あれよあれよと依皇は水にぴったりのドレス一式を準備し、揃いの指輪を用意して、水の手に花束を握らせた。一体どこから持ってきたのか依皇自身も真っ白な礼服に身を包み、あっという間に水も着替えさせた。
 ──そして今に至る。
「けど?」
「理由。教えてください」
 所要時間、約一時間。朝食も無しにこれである。それが証拠に、水のお腹が空腹を知らせるように元気に鳴いた。
 いつもならば水に食事を作るのが好きな依皇が特製の朝食を用意し、二人ゆっくりとブレックファストを楽しんでいるはずなのに、どうしてこうなったのか。 
 巻き込まれている当事者である水には当然理由を聞く権利があった。
 が、脳に春が来ているかのように笑顔を絶やさない依皇の口から出た言葉は、水の頭を抱えさせるのに十分だった。 
「水が可愛いから」
 ドレス姿に満悦している様子の依皇は、ヴェールを持ち上げて水の頬に軽くキスを送る。
「そんなので誤魔化されませんっ!」
 急にこんなことをすれば、いくら普段から依皇の突発的な行動に慣れている水でも驚かないわけはない。嬉しいとか嬉しくないとか、そういう次元の問題ではないのだ。
 本気で説明を求めている水に、初めて笑顔を翳らせて心底困った顔をした依皇は、花嫁姿の水を正面からヴェールごと抱きしめ、その肩にこつんと額を乗せた。
「……実は」


 これが夢だというのは、依皇には判っていた。
 何故なら目に映る光景が現実であるならば、恐らく自分は生きていないからだ。こうなる前に水もろとも命を絶つだろうと、依皇は己の性格を冷静に分析した。
 決して見るはずのない、見たくない光景。それなのに依皇は何故か目を離せずにいた。
 深海のように青く透明さを感じさせるドレスを身にまとった水が幸せそうに微笑んでいる。
 天から祝福の鐘が鳴り響き、二人の前途を祝う花のシャワーが舞った。
 指にはめられている豪奢な指輪に愛しそうに口づけ隣に佇む誰かの腕を取って愛らしく寄りかかる。
 見ていることしか出来ない依皇は、体中の血が沸騰しそうなほど猛り狂っているのに、一切の力が解放されない。幸せそうな水の姿だけが目に、そして心に入ってくるのだ。
 早く覚醒めなければ。このままでは、恐らく隣で安らかな寝息を立てている現実の水を無意識に攻撃してしまいかねない──
 そこで、依皇はようやく目を覚ました。否、自力で悪夢から脱したのだ。
 強く握った手の中にくすぶる『力』を自覚し、慌てて沈静させる。不幸中の幸いか依皇の『力』は暴走せずに済んだ様子で、水は心身ともに無事だった。


「……で?」
 口調から水の額に怒りマークが見えている気がする、と依皇は心中で水に頭を下げる。
 搾り出すような口調で夢の内容を一気に語った後、依皇は顔を上げずに──というより、気まずさから顔は上げられなかったのだが──呟いた。
「水に、俺の為にドレスを着ている姿を見せて欲しかった。あれは夢だったのだと判っていても、水が他の誰かに奪わ……れ、る……なんて耐えられない。だから現実の水で記憶を上書いてしまいたかった」
 言葉の途中苦しそうに息をのみながらも依皇は事情を吐露した。
「すまない、水」
「何で謝るんですか?」
 依皇の額を肩に乗せたまま、水は依皇の首に優しく腕を絡める。
「……水?」
「あ、最初から事情を話してくれなかったことはちゃんと謝ってください。それ以外なら、気持ちは判りますから。それに、依皇さんがそうやって苦しんでいたのは、それだけ俺を想ってくれているからでしょう?」
 だからいいです、と微笑んだ水の背中に腕を回した依皇は、その腕に力を込める。
 辛い夢を通り抜けたそこには、幸せな現実があるのだ。この腕に感じる愛しさは本物なのだと、感触を貪るように依皇はひたすら水を抱きしめていた。
「次は、言うようにするよ。正直そんな余裕もなかったんだけどね。とても現実のような夢だったから」
「俺も多分、そんな夢を見たら……どうなるか判りませんから、おあいこです」
「そのときは、夢なんて忘れられるほど可愛がるから安心していいよ」
「……でしょうね」
 いつもの調子に戻ってきた依皇に半分呆れ、半分安心した水が何かを思いついたように顔を上げた。
「そうだ、依皇さん。辛いこと思い出させてすみませんが、これだけ教えてくれませんか」
「ん?」
「その、俺の相手って……誰だったんです?」
 首を傾げる水の額に口づけてから、依皇は悪戯っぽく笑う。
「内緒」
 答えを貰えず不満そうな水に、内心依皇はごめんと呟く。
 別に言って差しさわりがあるわけではないのだ。ただ、依皇が気まずいだけで。
 ──かつての自分に妬いて暴走しかけただなんて、言える訳がない。
 依皇が現在の姿に転生する前。つまりかつてこの邪翼が健在だった頃の自分に現在の水を連れて行かれそうになった夢を見てこんな事態になったのだと、依皇がそう告白できるにはまだ時間が必要そうだった。