2010年09月28日

幸せの青い鳥(火黒)

 あの日ボクは、幸せの青い鳥を自らの手で籠から解き放った。
 未練がなかったのかと聞かれれば、それは嘘になる。誰だって好き好んで幸せを手放さないだろう。
 けれどあのときのボクには、他に選ぶ道が見えなかった。
 着慣れた帝光レギュラーのユニフォームを脱ぐ時間がやけに長く感じられた。
 もう二度と着ることのないそれを畳んでベンチに置き、ボクは一人外に出る。
 中学三年生の夏。ボクの中でバスケットの火が消えたその日は、やけに空が澄み切っていて青かった。 


「ふーん。で、そこまで話して、全中の決勝で何があったかまではまだ言えない、と」
「……すみません」
 先ほどコンビニで買ったアイスを袋から出し、それを咥えた火神君がやれやれと肩をすくめる。
 昼間はそこそこ賑わうこの公園も、だいぶ薄暗くなってきたせいか辺りに人影はない。ボクらの座っているベンチを照らす、背の高い街灯の明かりにつられて集まった虫たちくらい。
 部活の後、火神君をこうしてわざわざ公園へと誘ったのには理由がある。
 今日ボクは、彼に中学時代の話をするつもりだった。
 何故ならもうすぐ地区予選が始まる。誠凛が勝ち続ければ、同じ東京都の高校へと進学した『彼ら』と確実に戦うことになる。
 その前に伝えたいことがあったからなのだけれど、部分部分を端折ってしまった為に、結局上手く話せなかった。
 火神君が呆れるのも無理はない。ボクは話をまとめようとして端折ったのではなく、意図的に肝要な箇所を削っていたのだ。それはすなわち、まだボクがあのときの詳細を口にする勇気がないことを示している。
 聞いて欲しいのに言えないというこの矛盾をどうしたものかと俯いていると、火神君がボクの顎に空いている手を添え、やや強引に持ち上げた。
 唇が重なりそうな、火神君の吐息がかかるほど近い距離。
「黒子」
「……なんでしょうか」
「俺は別に無理して聞く気はねーからさ。話したいって思ったときに、またこうして誘ってくれればいい」
「ありがとうございます」
「いいから、んな顔すんなって。俺にしてみれば、お前がこうして話そうとしてくれたことだけで十分嬉しいし」 
 ボクの顎を解放した火神君は、サイダー味のアイスをかじるように食べながらフッと微笑んで、ボクの頭を乱雑に撫でた。
 仕草はぶっきらぼうな部分が多いけれど、アメリカからの帰国子女の所為か、火神君の言葉は非常にストレートで判りやすい。そのうえ表情が豊かで感情がダイレクトに伝わってくるから、一緒にいて安心する。
 この人の前では、ボクはありのままの自分を出していていいと思えるのだ。
「sweet」
「はい? ……んっ」
 不意打ちで耳元にキスされたボクの体に甘い電流が走り抜ける。
 唐突に告白されて、恋人として付き合い始めて一週間。火神君との関係はキス程度のプラトニックなものだったけれど、こういう触れ方をされたのは初めてだった。
 一応健全な高校生男子として、火神君が望んでいるだろうことは判るけれど、男同士という未知の世界にどう対応したものか迷ったボクは、とりあえずボクの耳を弄り続ける火神君をぐっと押しやって体を引き離した。
 当然のように不満そうな顔を浮かべる火神君に、ボクはきっぱりと言い放つ。 
「火神君、ダメです」
「弱気な顔が可愛かったから、つい」 
「ついじゃありません。時と場所と、ボクの気持ちを考えてください」
「いいじゃん。好きな奴を可愛がりたいってのは、男なら思って当然だぜ?」
 それに、と火神君は、それまでと打って変わった低いトーンで、まるで喉の奥から搾り出すように言葉を繋ぐ。
「俺は今すぐにでもお前の中から『青い鳥』を追い払いてぇんだよ」
 そのまま力強く抱きすくめられたボクは、火神君の言葉を瞬時に理解した。
 青い鳥──火神君は日本語、特にことわざや慣用句が苦手だ。にもかかわらずボクが話の中で使った比喩表現の意味を勘で把握したのだ。
 すなわち、青い鳥が指し示すものがボクにとって特定の人物だということを。
「せめて、ここはダメです」
「じゃこのまま俺んち行こうぜ。いいだろ?」
 微かに火神君の腕が震えているのを察したボクは、頭で考えるよりも先に首を縦に振っていた。
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