2010年08月13日

ぷちとまと。

 じめじめ匂う、いやんな感じ。
 ここにくるのは、僕の頭に小さくついてる、緑のヘタだけだったはずなのに、どうして僕はここにいるの?
 はぁ、って小さくため息ついてみたけど、状況が変わるわけじゃない。
 スーパーで売られているとき、同じパックに入れられた十個弱の兄弟たちに、僕は散々自慢した。この中で僕が一番真っ赤で熟してて、きっと一番美味しく食べてもらえるよって。
 でもそんな僕は、独り寂しく三角コーナーの中でぽつんと座ってる。
 どうしてこんなところにいるかって、僕の入ったパックを買った人が、不注意に僕だけを床に落っことしたんだ。
 タイルの床に落っこちたときはそりゃあ痛かったさ。僕のつやつやすべすべ自慢の肌が傷ついたのもショックだったね。
 痛かったけど、それくらいで僕の美味しさが損なわれたわけじゃない。
 なのに、あの落っことした人ってばさ。洗えばまだ食べられるのに、あの中で僕が一番美味しいのに。
 落っことしたものなんてもう食べたくないって、洗いもしないで僕を三角コーナーに放り込んだんだ。
 まな板の上で水洗いされた兄弟たちが僕を見下ろしてる。
 やめてよ。同情なんていらないよ。君達はさっさとお皿に盛ってもらえばいいだろ。
 ……本音を言えば食べてもらえる君達がうらやましいけど、でも僕は知ってるよ。
 本当だったら僕が一番美味しく食べてもらえるはずだったんだ。
 だからいいよ、僕を落っことしたあの人も、まだ甘酸っぱい兄弟を食べて後悔すればいいんだ。
 あの三角コーナーに入れちゃったぷちとまとは美味しかったのかしら、ってね。
 
 
 お皿に盛られる兄弟達を遠めで眺めていた僕の横に、不意に緑の何かが飛んできた。
 兄弟のヘタかな、なんて一瞬思ったけどそうじゃない。
 ちらりと横に視線を流したら、そこにいたのはきゅうりさんだった。
 ただのきゅうりさんじゃない。輪切りにされたきゅうりさんの、一部だった。
「……よぉ」
 喋った、って僕が驚くのは無理もないよね。だって輪切りにされたきゅうりさんの一部がきゅうりさんとして喋るなんて、思いもしないもの。
 話を聞くと、きゅうりの輪切りさんはここの人がとんとんきゅうりさんを切っているとき、やっぱり床に落っことしちゃったらしい。
 洗えばまだまだ食べてもらえるのに、種の詰まった一番美味しい部分なのに、僕とおんなじ運命を辿ったってわけだ。
 でもいいじゃないって僕は言った。きゅうりさんは、ほかの部分は食べてもらえるんだからって。
 そうしたらきゅうりの輪切りさんは、ニヒルにこう言ったんだ。
「お前さん、兄弟たちが食べてもらえたら満足かい?」
 何も返せなかった。
 食べてもらえる兄弟たちが羨ましいよ。なのに僕は食べてもらえないで、ここで朽ちていくだけなんだ。そんなのに満足するわけないじゃないか。
「そんなもんさね。他の部分が食べてもらえたって、ここにわしの意識が残っちまってるんだ。そいつあ不幸なことだろう?」
 と、ちっとも不幸そうじゃない顔で笑うんだ。
 僕にはきゅうりの輪切りさんがわからない。
 自分で不幸だって言うなら、どうして悲しそうじゃないんだろう。
 どうして、あんな優しそうに笑うんだろう。
 

 さんさん夏の陽射しが僕ときゅうりの輪切りさんを苦しめる。
 つやつやすべすべだった僕の体が見る見るうちにしぼんでく。しわしわのおじいちゃんみたいに。
 食べてもらえない僕には、もう関係ないけどね。
「そんなこと思っとらんだろう」
 ぐさっと胸に突き刺さったよ、きゅうりの輪切りさん。
 もしもしわしわになるなら、あったかい地面に落ちるときだと思ってたのに、こんな湿ったプラスチックの三角コーナーで、何にも生み出せないまましわしわになるなんて──そう思ったって、どうしようもないじゃないか。
 床に落っことしただけで嫌がったあの人が、三角コーナーから僕を拾い上げてくれる可能性なんて、世界が終わったってありえないよ。
 僕らを助けてくれる神様なんていないんだって、僕は叫んでやった。
 人の痛いところをつついておいて、涼しそうな顔をしてるきゅうりの輪切りさん。
 ちょっぴりイラっとした僕は、じゃあきゅうりの輪切りさんはどうなのさ、って聞いてみた。
 だって僕ばっかりぐさぐさやられるのは、なんだか不公平だ。
「そりゃお前、わしだって不満でいっぱいさ。だけどなあ、希望はいつでも残ってるもんだ。こんなしみったれた三角コーナーの中にだって、物好きなちっちぇえ希望がやってくるかもしれねえんだ。なのに不景気な顔してりゃ、希望は尻尾巻いて逃げ出しちまうぜ?」
 そんなわけあるかって、思った。こんなとこに希望なんていないし、来るわけがないよ。
 どうせ僕らは傷んで腐っていやんな匂いをするようになって、あのビニールに詰め込まれて、真っ赤な炎に焼かれて終わるんだ。
 何にも生めずに、何もなれずに終わるんだ。
 僕の中に眠る種を生むことも、何かの力になることもできずに終わるんだ。
 そう言い返してやったのに、きゅうりの輪切りさんはやっぱり優しい顔で笑う。
 わからない。
 僕にはきゅうりの輪切りさんがわからなかった。
 ──そのときだった。
 僕たちにさんさんふりそそぐ陽射しが翳ったんだ。
 雲かな? って思ったけど、僕らを黒い影が覆ったからそれは違う。
「……きたか。まってたぜ」
 優しい声で、きゅうりの輪切りさんが言う。
 なんだろうと思ってキッチンの開いた窓を見ると、そこにいたのは星も月もない真夜中みたいに真っ黒な翼をしてる──うん、知ってる。お母さんに生ってたときに見たことがある、それはカラスさんだった。
 大人のカラスさんじゃなくて、多分まだ子供。だって大人のカラスさんを見たことあるけど、それと比べてそんなに大きくないから。
 カラスさんはよたよたっとしながら三角コーナーに近づいてくる。
 家の人たちはまだ、誰も気づいていない。だから、子供のカラスさんを追い払ったりしない。
 きゅうりの輪切りさんが言っていた「希望」が、僕にもようやくわかった。
 黒く光るくちばしが、ゆっくり近づいてくる。
「さ、いこうぜ兄弟。これでわしらも「何か」になれる」 
 こんなに早く希望が訪れるなんて奇跡だけどな、と。
 くちばしに挟まれたきゅうりの輪切りさんは、僕に最期の笑みを浮かべたんだ。
 三角コーナーに放られてから、一回も笑えなかった僕だったけど。
 子供のカラスさんがきゅうりの輪切りさんをぱくっと飲んで、それからもう一度三角コーナーに近づいて、よたよたと僕の体を挟み上げたとき、ようやく笑えた気がしたよ。
 ありがとう、子供のカラスさん、きゅうりの輪切りさん。
 ──願わくば次の生も、きちんと「何か」になれますように。
 かわいいくちばしに挟まれながら、僕は最期の祈りを、いるはずないって叫んだ神様に願ったんだ。