2010年07月24日

たいやき。

 我輩はたいやきである。
 一口にたいやきといっても、いくらか種類があるのをご存知だろうか。
 しっとり舌触りの良いとろけるようなこしあん。食感も楽しいほくほく王道のつぶあん。一昔前のニューフェイスも今では不動の地位を築いたカスタードクリーム。
 よく知られているたいやきといえば、そのあたりだろう。
 だが我輩はそのどれでもない。
 我輩はお好み焼き味のたいやきなのである。お好み焼き味なのだが、たいやきなのである。
 そこの君、お好み焼き味と一笑に付すにはまだ早い。味わったことのない方は食わず嫌いなどせず遠巻きに見ていないで、是非我輩を賞味して貰いたい。
 お好み焼き味は甘くない。甘いたいやきを求めて我輩を口にすると、それはそれは期待はずれに顔をしかめるだろう。けれどそこで我輩の評価を決めてはいけない。頼むから決めないで頂きたいのだ。
 外の皮がぱりっと香ばしく、場合によってはそこに混じった紅生姜がアクセントになってそれだけでも日本茶がすすむ。中身はあっさり出汁の風味がきいて、キャベツの千切りと干した芝海老が絶妙なコントラストを奏でている。一個百十円で口内にえもいわれぬハーモニーをもたらすことは、こしあんにもつぶあんにも、ましてやカスタードクリームにも出来ない。
 お好み焼き味である我輩しか成し得ないのだ。


 にもかかわらず、我輩は毎日最後まで売れ残る。
 売れ残ると従業員たちが渋々持ち帰って口にする。それか閉店前に値引き特価の札がついてからようやく売れる。
 甘くはないがとても美味しいのだと自負できるのに、食べて貰えれば判るのにと、幾らここで叫んでも実際食べて貰えないとお客にそれはわからない。食べてもらうには買ってもらうしかないが、人気がなければそもそも買ってもらえない。
 そう。認めたくはないが、我輩は人気がないのだ。
 自らを美味しいたいやきと自負している我輩にとって、これは屈辱だった。
 今日も隣の焼きたてのつぶあんが誇らしげに売られていく。その向こうのカスタードクリームは謙遜しながらもやはり売られていく。
 店頭にはこんなにも長い列が出来ているのに、お好み焼き味を、という声は掛からない。ポップと呼ばれる宣伝カードにも、我輩のことは小さく目立たないようにしか書かれていない。
 一番人気のつぶあんは、あんなにも大プッシュなのに。毎日売れ残りを食べて、我輩の味を知っている店員すら、我輩を推してはくれなんだか。
 今日も我輩の体がしっとりと濡れていく。我輩の一番美味しい、ぱりぱり香ばしい外皮が、誰にも味わってもらうことなく湿っていく。
 焼きたての香ばしさを味わって欲しい。時間が経ってしまっては美味しさが半分以下だ。
 そう願っても、我輩が売れるのはしっとりした体のときばかり。
 だから皆、一度は我輩を買ってくれても次からはまたこしあんかつぶあんかカスタードクリームを選ぶのだ。
 判っている。我輩は色物なのだ。そう呼ばれているのも判っている。
 それでも、たいやきとしての誇りは失わない。
 なぜなら我輩はたいやきなのだ。……売れ残っても、色物でも、たいやきなのだ。
 我輩は、たいやきなのだ。
 
 
 毎日叫ぶのは、疲れるのである。主張し続けても、手応えがなければへこたれるものである。
 幾ら精神力の強い我輩でも、くたびれるのだ。
 果たして我輩はたいやきである意味があるのだろうかと、半ば諦めの境地になりかけていたある日、ふと気づいた。
 いつからだったのかは不覚にも不明であるのだが、毎日毎日、我輩を買ってくれる御老女がいる。
 その数はいつも一匹なのだが、こしあんもつぶあんも、ましてやカスタードクリームも選ぶことなく、必ず我輩を指名してくれる。お好み焼き味の、冷めてぱりぱりではなくなってしまっている我輩をだ。
 ご老体の割りになかなかアクティブな御老女は、家ではなくここで我輩を食べる。店の隣にある、イートインとはとても呼べない小さなベンチに腰掛けて、御老女は顔中にしわを作って、満面の笑みで我輩を食べてくれる。
 喉に詰まったりしないのか心配で御老女を眺める。毎日毎日眺める。ある日咳き込んでいたが、手にした巾着から小さな水筒を出してお茶を飲んでいた。
 日本茶だ。あの御老女はわかっている。我輩の一番美味しい食べ方を判ってくれている。
 こしあんでもつぶあんでもカスタードクリームでもない我輩を選んでくれる御老女がいるだけで、毎日売れ残っても悲しくなくなった。
 我輩は叫ばなくなった。我輩がたいやきなのだと、叫ばなくなった。
 叫ばなくとも、あの御老女が判ってくれる。
 御老女が美味しそうに我輩を食べてくれる。
 たったそれだけのことなのに、この上なく幸せなのだ。
 
 
 だがある日を境に、御老女はぱったりと店に来なくなった。それどころか売り場付近で姿を見かけることすらなくなった。
 毎日毎日見ることの出来た、あの御老女の笑顔がそこにない。ベンチが空席のまま、日々が過ぎていく。
 飽きたのだろうか。御老女にとって、所詮我輩はたいやきではないのだろうか。それともあれだけ毎日食べていて、飽きてしまったのだろうか。
 それならば仕方ない。幾ら好きでも毎日食べ続けていればいつか飽きてしまう事もあるだろう。
 寂しいが。この上なく寂しいが、暫くすればまた来てくれるだろうか。来て、我輩だけを選んで買ってくれるだろうか。
 淡い期待を頼りに我輩は待った。御老女を待ち続けた。
 一週間たっても二週間たっても御老女は姿を現さなかった。
 その間も我輩は売れ残り続けた。完売の札が掛かるこしあんやつぶあんやカスタードクリームの横で、いつもと変わることなく売れ残り続けた。
 売れ残っても気にしなくなっていたはずの我輩の心が、御老女が買ってくれるだけで満足していた我輩の心が、かりかりに香ばしく焼けたしっぽと共に冷えていく。湿ってしまった体以上に、心が冷えていく。
 今の我輩は、我輩自身も美味しくないだろうと思えた。
 何故なら今の我輩の中には誇りが、何より幸せが詰まっていないのだ。悲しみのハーモニーを食べても、きっと満足するお客はいない。
 今の我輩に幸せを詰められる御老女は、お客の一人でしかない。何故来てくれないのかというのは、我輩の勝手な言い分でしかない。
 判っていても、我輩は御老女を待ち続けた。
 せめて他の、こしあんでもつぶあんでもカスタードでも良いから買いにきて欲しい。
 いやいやダメだ、来てくれるならやっぱり我輩を買って欲しい。
 とにかく、御老女が来てくれるのだけを願いながら、我輩は日々を過ごした。
 
 
 ある日、店に来た一人の老紳士が驚くべき事を店員に告げた。
 なんと我輩を全部買っていくというのだ。しかも、こしあんもつぶあんもカスタードクリームもいらない、お好み焼き味の我輩だけを、あるだけ全部。
 今までにこんなお客はいなかった。
 勿論買ってもらえるのは嬉しい。……だが嬉しいのに嬉しくないのだ。
 何故これが御老女ではないのだろうと、折角買ってくれるという老紳士に大変失礼な事を考えてしまうのだ。
 それに全部買われてしまっては、もし今日御老女が店に来たら、御老女に買ってもらえなくなってしまう。我輩が見たいのは、あの御老女のしわいっぱいの笑顔なのだ。
 我輩の葛藤など知るはずもなく、店員は我輩を袋にぎゅうぎゅう詰め込んでいく。
 しっとり濡れて冷めた沢山の我輩が入った袋を、老紳士は大切そうに抱えた。
 優しげな風貌の老紳士は、我輩に御老女をより強く思い出させた。御老女に似ていると思うということは、我輩は老紳士を嫌いではないということに他ならない。
 これも運命か。今日もし御老女が店に来て我輩とすれ違ってしまったとしても、この老紳士に食べてもらえるならば、それはそれで我輩の幸せなのだろう。
 少しでも中に幸せを詰めよう。御老女ではないが、我輩だけを選んで沢山買ってくれたこの老紳士が、我輩を美味しく食べてくれるように。
  
  
 どれくらい時間が経ったのか、袋いっぱいの我輩を抱えた老紳士が家についたらしい。
 我輩はやっと狭いぎゅうぎゅうの袋から、白い大きな皿に乗せてもらえた。出来るならトースター等でもう一度かりかりにしてもらえれば、焼き立てとはいかなくとも美味しく食べてもらえるのに。
 今更のようなの不満はあったが、山盛りの我輩を食べてもらえるならと、その瞬間を楽しみにしていた。
 だがテーブルではなく、随分と高いところに置かれた我輩は、いつまでも食べてもらえない。
 老紳士は山と積まれた我輩を見て涙を流した。そうして一匹だけ我輩を手に取り、泣きながら我輩を食す。
「……最期に、食べさせてやれんで、すまんなあ」
 老紳士が我輩を食しながら、ぽつりと漏らす。
 優れた我輩はすべてを瞬時に理解した。
 だが我輩の思考はそこで止まってしまった。
 もう、あの幸せな時間はかえってこない。御老女がベンチに座って、御老女が美味しく我輩を食べてくれることはないのだ。
 それだけ判ればもう、十分だった。
 ずっとずっと見たかった、黒ぶちに囲まれた御老女の温かい笑顔の前で、我輩はここで朽ちて逝こうと意識を閉じた。