2010年07月22日

黒子のバスケ 日向←リコ

 人気のなくなった体育館に転がる沢山のボール。
 こうして見ている間にも一つ、また一つと増えていく。それら全部が、あいつの努力の証。
 距離、そして成功率百パーセントという観点からキセキの世代の一人である緑間君には及ばないかもしれないけれど、あいつのシューティングもかなり信頼が置ける。特にクラッチタイムはチームの精神的な支柱であるだけでなく、あいつにボールを回すことでスコアを伸ばすことが出来ると信じられる。
 その信頼の裏づけが、こうして毎日行われているシューティング練習。
 部活後の個人練習は皆やっているけれど、最後まで残るのは大抵あいつ──日向君だ。
 静まり返った体育館に響く、リングの揺れる音とボールの跳ねる音。集中力が肌に伝わってくる、張り詰めた緊張感。そして声をかける事すらためらう真剣な背中をこうして眺めているだけで、幸せな気分になれる。
 かごの中のボールすべてを投げ終えた日向君は、散らばったボールを拾い集めようとした段になって、後方の体育館扉に寄りかかっていた私の姿にようやく気づいたらしい。
 額に浮かぶ汗をユニフォームで拭いながら、日向君は私に向けて軽く手を挙げた。
「おう。まだ残ってたのか」
「ちょっとね」
「そっか」
 ちょっと──その理由すべてを判った気でいる、短い返事。私が残っていたのはどうせ「次の試合について考えてた・調べていた」だけだと思ってるんだろう。
 いつだって、私の気持ちに気づかないバスケ馬鹿。
 眼鏡をかけてるからなんとなく頭が良さそうな感じにも見えるけど実は結構平均な成績で、主将なんてやってるし温厚そうに見えるけど実はかなりの毒舌家で、負けず嫌いで意地っ張りで。
 その癖、ここぞっていうときにはすごく頼りになる。皆の信頼も当然篤い。チームメイトをちゃんと見ていてくれて、正邦戦の勝利で涙ぐんでいた私にも気づいてくれた。
 ──そんな姿を近くで見てて、気にならないわけないのに。
 そこまで考えて、私はやれやれと肩を落とした。このバスケ馬鹿に情緒なんてもの期待するほうが間違ってる。そう思わないとやってられない。
 確かに次の相手校のDVDを見て研究してた。それが私の役目だから。でもこの私がこうして数十分の間体育館にいた理由が、単に日向君のシューティングを見ていたかったからだなんて、天地がひっくり返っても想像つかないだろう。
「それより、ボール片付け終えたらそこ座って。足と腕のマッサージするから」
「お、サンキュ」
 きっちり最後の一個までボールを片付け終えてから、日向君は指示通りベンチに腰掛ける。
「じゃ、頼むな」
「任せて頂戴」
 片目を瞑って見せた私は、日向君のふくらはぎと腕のマッサージをはじめた。先ずはふくらはぎからと、私は彼の対面に膝をつき、引き締まったふくらはぎに手を寄せる。
 こうして好きな人の足に触れていて、恋する乙女としては内心色々な葛藤が駆け巡らないこともないのだけれど、今ここにいるのは誠凛バスケ部監督兼トレーナーの私、相田リコなのだ。
 雑念を取り払って、念入りにマッサージを続ける。
「いつも助かるよ、カントク」
「それが私の役目だからね。それより気持ちはわかるけど、いきなりシューティング本数を増やし過ぎないように」
「……ばれてたか」
「そりゃね。私の目を誤魔化せると思った?」
 腕の筋肉疲労が普段以上に蓄積しているのがわかる。これはかご一つ分以上は余裕で増やしてるだろう。
 チームのスポーツトレーナーを自負しているこの私にどんな表情をしてみせるのかと挑戦的な表情で見上げると、日向君は仕掛けた悪戯が露見した小さな子供のような笑みを浮かべた。
 照れたような、決まり悪いような、でもどこか嬉しそうな笑みがなんだか可愛くて、瞬間、胸の内に息苦しい切なさが走り抜ける。
 震えそうな手をなんとか抑え、私はわざと呆れたように小さく深呼吸して再び視線をふくらはぎに戻した。
 誤魔化せていれば良いけど、なんて心配する必要もなく。予想通り、私の挙動なんて全く何も気にしていない日向君が口を開く。
「思ってないさ」
「なら明日からはいつもどおりの本数に戻すようにね。でないとまた日向君の大事なアレをへし折る事になるわよ」
「うっ……」
「幾ら普段からプレッシャーをかけてたって、体に負担をかける練習してたら意味ないんだから。いきなりシューティングの本数を倍以上に増やすなんて、無茶も良いところだわ」
「判ってるんだけど、どうしても悔しくてな」
「あの試合、日向君のアウトサイドシュートは機能してたわよ。あれは私たちの完全な実力不足。桐皇には冬に借りを返せばいいの」
「……そーだな」
 こんなときに、励ますどころか説教をするしか出来ない自分が少し寂しくなる。
 汗だくの相手にそっと優しくタオルを差し出す。そんな関係に憧れないって言ったら嘘になる。
 でも、それがトレーナーとしての、監督としての私の役目。日向君も皆も、そんな私を信頼してくれるのだから、仕事できっちり応えたい。
 右足のマッサージを終え、左足に取り掛かろうとした私が何気なく顔を上げると、思いやりに満ちた目をした日向君と目が合った。
 普段なかなか見ない顔に内心驚きつつも、私が「何?」と聞く前に、優しく微笑んだ日向君が口を開く。
「お前もさ、あんまり無理するなよ」
 不意に日向君の手が私の頭に載って、髪をくしゃりと軽く撫でた。
 ──やばい。顔に血が集まってくるのがわかるくらい、熱い。
 女の子として意識してもらえなくても、バスケ選手としての彼は、これ以上ないほど信頼も心配もしてくれる。
 それが嬉しくて嬉しくて仕方ない。
「日向君ほど無理してないから平気」
 我ながら素直じゃないと思いながら、赤くなった顔を悟られたくない私は、触れている場所から想いが伝わってしまいませんように、なんて。らしくないことを思いながら再び日向君のふくらはぎに手を添えた。
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