2010年02月25日

X-Day (4)

「チョッコチョコチョコチョコレート、甘くて美味しいチョコレートっ」
 変声期を終えたばかりと思しき少年──といっても彼の時間は少年のまま永遠に止まっているのだが──が、鼻歌交じりにメロディを口ずさむ。耳心地の良い声ではあるが、歌詞も旋律も即興なので多少調子が外れているのはご愛嬌だろう。
 銀色のボウルを小脇に抱え、カラカラと泡だて器で中の生クリームをかき混ぜる。
 ピン、と角が立つまで混ぜる必要がある生クリームを作るのは、これで結構重労働だったりする。電動ミキサーを使えばあっという間なのだが、彼──焔は手作業で作るのが好きだった。
 洗い立ての白いコックコートに身を包むと、気分はいっぱしの菓子職人だ。一応、仕事としてケーキやらクッキーやらを作っていた過去があるにはある焔だったが、別に調理人の資格を持っているわけではなかったりする。
「なんちゃってパティシェだよなあ、このカッコ」
 コスプレみたいで嫌いじゃないけど、なんて軽口を叩きながら焔は手を動かす。
 ボウルの中は、すっかりクリーム状になっていて、泡だて器を軽く持ち上げると、しっかりと角が立った。ついでに常温で放置しておいたバターに小指の先を沈めて柔らかさを確認する。これならもう作り始めても大丈夫だろう。
 うんうんと出来に満足して頷いた焔は、近くにいた有能アシスタントのイシルを手招きして呼んだ。
「イシル、この生クリームにバニラエッセンス混ぜてから軽く混ぜてラップして冷蔵庫っ」
「うんっ」
 わくわくと好奇心いっぱいの瞳を輝かせたイシルが駆け足で焔に走り寄り、ボウルを受け取ってよい返事で敬礼のポーズをとる。
 身に着けたピンクの花柄エプロンは、焔の恋人である火龍が彼女に似合うと用意したもので、柔らかい色合いがイシルに良く似合っている。女の子らしく長い髪を邪魔にならないよう丁寧にくくったのも火龍だった。
 妹分のイシルは、焔にとって可愛くて仕方がない存在だった。一人っ子だった所為もあって、妹か弟が欲しかった焔にとってイシルはいくら可愛がっても可愛がり足りない。
 バニラエッセンスの入った茶色の小瓶を受け取ったイシルが興味深げにその蓋を開けると、なんともいえない甘い香りが周囲に広がる。
「焔、これ、どれくらい入れればいい?」
「んー、バニラエッセンスは香り付けだからちょこっとだけ。舐めたらダメだぞー、苦いから!」
「はーい」
 再び走っていくイシルを目で追いながら、水色のエプロンを身につけたもう一人の少年が耳を軽くかく。
「……で、俺は何すれば良いんだ」
「和希はこれ、振るっといて。んっと、四回くらい」
 手渡された粉の量を見て、「げっ」と和希が面倒くさそうにつぶやく。
「そんなにやんなきゃいけないのかよ。しかもこれ全部?」
「美味しいミルクレープ食いたいから手伝うって言ったの和希だろー」
「そうだけど」
「なら文句言わないできびきび手を動かすっ」
 腰に両手を当てた焔は和希に向いて、びしっとポーズを決める。
 今日のところは勝てる立場に居ない和希は、不承不承ながらも焔から粉とふるいを受け取っておとなしく台に向かった。
 旧知の仲である和希の性格は良く知っている。なんだかんだ文句を言いつつも真面目に作業してくれるだろうから、粉の事は心配ないだろう。
 今回のバレンタインで焔が作るのは、自信の一品であるミルクレープだった。生クリームをふんだんに使う分、保存が効かないのでこうして前日に作っている。
 ちなみにアシスタントを買って出てくれたイシルは、昨日のうちに焔がレシピを書いたチョコチップクッキーを作成済み。あとはラッピング用品が届くのを待つばかりなのだ。
 明日までに間に合うかと焔は指を折りながら残りの過程を思い浮かた。
「あとは生地を焼いて、ソースはイチゴとカスタードと……トッピングはチョココーティングしたイチゴだなっ」
 そこまで呟いて、焔は忘れ物をしていた事を思い出す。
「あっちゃー。生イチゴ足りないかも」
 ソースを作るイチゴと別に、チョココーティングして飾りつけるイチゴが必要なのだ。正確に言えばトッピングにイチゴを使う事は覚えていたのだが、想定していた以上の数量を、ソースに使ってしまったのだ。
 困り果てた焔は胸の前で腕を組み、「むう」と唸る。
 他のフルーツで代用しても良いが、焔が作りたいのは恋人である火龍が好きだと言ってくれたイチゴとチョコのミルクレープなのだ。
 出会って間もない時に作って、美味しいといってくれたあの笑顔が忘れられない。
「まだ間に合うかなー」
 最後の仕上げに要るものだから材料を今から頼めれば大丈夫だろうけれど、問題は肝心の頼む相手がいつ来るか判らないことだ。
「チョコかマジパンでなにか作るかあ。でも俺工芸菓子はちょっと苦手なんだよなー」
 イチゴは無理だろうかと、諦めかけたそのときだった。
 冷蔵庫の辺りでイシルが歓声に沸く。
「イシル、ラッピング用品を持ってきたよ。これがリボンでこっちが袋。透明のとカラーのがあるから、二重に重ねると綺麗だよ?」
「ありがとうございます!」
 悩んでいる焔には、まさに天の助け。
 ふとそちらに目をやると、そこにいたのは、イシルのラッピング用品を届けにきた、今回の企画の雑用兼使い走り──戒だった。
 仕事前にこちらに立ち寄ってくれたのだろうか、カッターシャツに黒いパンツとジャケット姿の戒に駆け寄った焔は、その細い腰に飛びついた。
「戒さま! イチゴくださいイチゴ!」
「え?」
 何が起きたか事態の把握が出来ない戒に、とりあえず焔は事情を説明する。
 と、心得たとばかりに戒が頷いた。
「うん、わかった。今日中に届けるよ。ブランドはどこでもいい?」
「チョコに合うやつならなんでも!」
「了解。じゃ、頑張ってね」
「はい、ありがとうございました!」
 ぺこりと焔が頭を下げている間に、戒の姿は消えていた。バレンタイン前日、いつもより更に忙しいのだろう。 
「よっし、頑張るぞっ」
 大切な、大好きな人に喜んでもらう為に。
 その人の笑顔が見たい、自分の為に。
「和希ー、粉ふるい終わった?」
「当然」
「さんきゅっ。なら生地焼くかー! 待ってろよ和希、うまーいミルクレープ食わせてやるから」
 ラッピング用品を抱えたイシルが遠くから声をあげる。
「焔、イシルはー?」
「ん、イシルの分も勿論だっ!」
 自分の作るケーキを皆が楽しみにしてくれて、皆が笑ってくれている。
 幸せな気分に浸りながら、焔はクレープ生地を焼く鉄板を取り出した。