2010年01月14日

アドレサンス妄想(レン×リン)──シグナルP様&orange様

「……行かないで」
 空気に溶けてしまいそうなか細く震えた声音を喉の奥から搾り出し、俯いたリンがレンの着ているシャツの裾を小さく摘む。
(どうして)
 唇だけを震わせて無音の呟きを吐いたレンは、無意識にごくりと喉を鳴らした。
 頬を薄く紅潮させて、今にも緩んでしまいそうな涙腺の扉を必死で押えているリンを見ていると、その華奢な背中に腕を回してしまいたい衝動に駆られる。
 躯の芯から湧き上がる熱を堪えてぐっと拳を握り締め、レンは無理やり口元に笑みを浮かべた。
「オバケが怖い? まだまだ子供だね、リン」
 先の跳ねた亜麻色の髪に優しく指を通し、宥めすかすように微笑む。
 嘘をつくのに慣れてしまったのは、一体何時からだろうか。
 恐らくは、胸の奥にある小さな芽が、世間では罪悪なのだと知ったあの日。仲が良すぎる自分達に対し、奇異に満ちた訝しげな目を向ける大人の心無い一言から。
『仲が良いのは結構だけど、良すぎるのもどうかしらね。近親婚は血に悪影響しか及ぼさないわ』
 自分達には難解で判らないだろうと踏んで発されたその言葉を、後日こっそりと辞書で引いたレンは、指先から体温が失われていく感覚に襲われた。
 こんな想いをリンにさせたくない。
 それ以来大人たちの視線を気にしたレンは、時に笑い時に怒り、適宜場面に合った感情を表現することで、ただひたすらに優等生の弟を演出してきた。
 二人の躯が成長するにしたがって、今は一緒にいるのが当然な姉との離別が待っていることくらい、レンは理解している。例え身を引き裂かれる苦しみを伴うとしても、そうすることがリンを守る事になるのなら幾らでも上手に嘘がつけた──今までなら。
「でも、僕も部屋に帰って寝ないと」
「一緒に寝れば良いじゃない」
 顔を上げたリンの視線が、物言いたげに訴えかける。上目遣いに潤んだ瞳の中にリンの想いを見つけたレンは、思わず目をそらして天を仰いだ。
(反則だよ、リン)
 互いに想い合っているのに、悪いことがあるのか──信条がグラつきかけたレンだったが、理性を総動員して悪魔の囁きを押し込める。 
「……それはダメだよ、リン。オバケが怖いなら、目を瞑ってしまえばきっとすぐに眠れる」
 全てはリンの為に、レンはこの想いを隠し通すことを心に誓っていた。両親によって部屋を分けられたのはこの上なく寂しいが、留め金が壊れてしまいそうな今の状態を思えば良いことだったのかもしれない。
 いつの間にか自分よりも小さくなったリンの手をとり、僅かに赦された触れ合いに万感の想いを込め、細い指先にそっと口付ける。
 ──今、この瞬間が永遠に止まってしまえば良いのに。
「おやすみ、リン」
 名残惜しげにリンの手を離したレンは躯を反転させ、リンに背を向けて扉のノブに手をかける。
 刹那、背中に温かな感触を覚えたレンは反射的にその手を止めた。
「……え?」
 リンが背中から抱きついてきたのだと理解するのに数秒の時を要した。
 この世に生を受ける前から耳に馴染んだリンの鼓動が自らの心音とシンクロする。 
「レンの馬鹿。嘘つき。約束したじゃない、ずっと一緒にいようって」
 額をレンの背中に押し付けて、リンが小さく首を横に振った。
 涙交じりの息遣いに、レンは唇をかみ締める。
 幼い頃の大切な約束は、勿論レンとて覚えている。無邪気に結んだ小指を引き離す『世界』を壊したいと願わない日はなかった。
(でも、だけど……!)
 大人達の奇異の眼差し、あれがリンに向けられる位なら。いやしかし今リンを悲しませているのは他ならぬ自分で。 
 矛盾する想いが交錯し、ドアノブを握ったままの手が震える。
 ここは境界線だ。行くも戻るも、全てはレンの意思次第。そしてリンは既に答えを出しているのだ。
「リン」
「何?」
「今なら戻れるよ」
「私が居てって言ってるの」
 切なげに呟くリンの声音を耳にしたレンは、ふぅっと深い息を吐いた。
「……判った」
 リンの──かつては二人のものであった部屋の、半開きだった扉がレンの意思によってゆっくりと閉じられていく。
 外界の拒絶、そして二人だけの世界を作り上げること。それが今後、二人の人生にどんな影響があるのかは判らない。だが今ここでリンを拒絶すること以上に酷いことなど起こらないだろうとレンは思う。
 大切な、愛しいたった一人のお姫様。この温もりを、笑顔を守る為ならば幾らでも嘘をつける──そう、これまでにように。
 ただこれからは嘘の方向性が変わるだけだ。むしろ、その方が気は楽かもしれない。
 自分の心とリンに対して、素直に生きられるのだから。
「大好きだよ、リン」
「うん……私も」


 パタンと完全に閉じた扉の内側で、静かに部屋の明かりが落とされた。